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【社会】その時、歴史が分かった 江戸時代②(都市や交通の発達 元禄文化)

こども未来フェス

授業(音声があります)

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せんせい

ハイ、みんな注目! 今日は、戦国時代が終わって平和になった日本が、どうやって『経済大国』へと進化していったのかを見ていくぞ。 武士が威張っていただけじゃない。農民の工夫や、商人のガッツ、そして上方で花開いたド派手な文化。江戸時代のエネルギーを感じてくれ!

百姓の工夫と商人の台頭

 秀吉の時代に始まった身分制度は、江戸時代になってさらにガチガチに強化されたんだ。武士・百姓・町人と身分がはっきり分けられ、武士や町人は政治や商売の中心地である城下町に集められた。一方で、全人口の約85%を占める百姓の世界でも、土地を持つ「本百姓」と持たない「水呑み百姓」に分けられていたんだね。本百姓が村役人となってルールを決め、基本的には自給自足に近い生活をしていた。ここまでは前回の復習だ。

 でも、ただ大人しく働いていたわけじゃない。幕府や藩が新田開発に力を入れたこともあって、耕地面積は秀吉のころの約2倍にまで広がったんだ。さらに農具の改良がすごかった! 土を深く耕せる「備中ぐわ」や、脱穀を一瞬で終わらせる「千歯こき」が登場し、いわしから作る干鰯(ほしか)などの肥料も使われるようになった。これで農業の生産性は飛躍的に高まり、自分たちの食べ物だけでなく、綿や菜種、紅花といった「売れる作物(商品作物)」を育てる余裕も出てきたんだ。

 農業が盛り上がれば、当然商業も活発になる。都市では同じ商売をする仲間同士で「株仲間」という組合を作って、営業を独占するようになったんだ。お金の流れも複雑になって、金銀を交換する「両替商」や、武士の給料を現金に変える「札差」といった金融のプロたちが現れたのもこの頃だね。

 金や銀が流通したので鉱山の開発も盛んになったんだ。有名な佐渡金山(新潟県)と世界遺産にもなっている石見銀山(島根県)は押さえておこう!

一問一答で確認しよう

① 全人口の約85%を占め、村で自給自足に近い生活をしていた身分は
② 刃が分かれていて、土を深く耕すことができるようになった改良農具は?
③ 稲の穂から「もみ」を落とす脱穀の作業を、劇的に速くした農具は?
④ いわしを乾燥させて作られ、生産力を高めるために使われた肥料を何という?
⑤ 綿・菜種・紅花など、売って現金にするために栽培された作物を何という?
⑥ 幕府の許可を得て、営業を独占した同業者組織(商人の組合)を何という?
⑦ 金・銀・銭の交換や貸し付けを行った、現在の銀行のような商人は?
⑧ 新潟県にあり、江戸幕府の財政を支えた有名な金山は?
⑨ 島根県にあり、現在は世界遺産にも登録されている銀山は?

解答

① 百姓
② 備中ぐわ(びっちゅうぐわ)
③ 千歯こき
④ 干鰯(ほしか)
⑤ 商品作物
⑥ 株仲間  ※座は室町時代ごろの組合
⑦ 両替商
⑧ 佐渡金山
⑨ 石見銀山(いわみ) ※漢字注意

都市や交通の発展

 17世紀末になると、都市の発展はピークを迎える。特に「三都」と呼ばれた江戸・大阪・京都の個性は際立っていた。将軍のお膝元である「江戸」は人口100万人を超える世界最大の都市になり、一方の「大阪」は全国のコメや特産物が集まることから「天下の台所」と呼ばれたんだ。諸藩が建てた「蔵屋敷」には荷物が山積みされ、これらを商人に売ることで藩の財政をやりくりしていた。

これだけのモノを運ぶために、交通網もバッチリ整備されたぞ。五街道はもちろん、海の上でも西廻り航路・東廻り航路といったルートが開かれ、大阪と江戸の間を菱垣廻船」や「樽廻船」という定期船が往復した。そのおかげで、港町や宿場町もどんどん栄えていったんだ。

五街道の暗記法

(と=東海道)(中山道)(日光街道)(お=奥州街道)こう(甲州街道)五街道

一問一答で確認しよう

① 江戸・大阪・京都の3つの大きな都市をまとめて何と呼ぶ?
② 大阪は全国から米や特産物が集まり、商業が栄えたことから何と呼ばれていたか?
③ 諸藩が年貢米や特産物を売るために、大阪に置いた倉庫を何という?
④ 江戸を起点として整備された、東海道などの5つの主要な陸上の道を何という?
⑤ 東北の日本海側から、下関を通って瀬戸内海から大阪へ向かう海上航路を何という?
⑥ 東北の太平洋側から、江戸へ向かう海上航路を何という?
⑦ 大阪から江戸へ、醤油や木綿、油などの生活用品を運んだ定期船を何という?
⑧ 大阪から江戸へ、特にお酒を専門に、より速く運んだ定期船を何という?

解答

① 三都
② 「天下の台所」
③ 蔵屋敷 ※蔵の漢字注意(倉ではない)
④ 五街道
⑤ 西廻り航路
⑥ 東廻り航路
⑦ 菱垣廻船(ひがきかいせん)
⑧ 樽廻船(たるかいせん)

上方で爆発した「元禄文化」

 そんな豊かな経済力を背景に、5代将軍・徳川綱吉のころ、京都や大阪(上方)の庶民を中心に栄えたのが「元禄文化」だ。とにかく明るくて華やか、そしてリアルな人間ドラマが好まれたんだ。

 文学の世界では、井原西鶴(いはらさいかく)が『日本永代蔵』などの浮世草子で町人のリアルな生き様を書き、近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)は人形浄瑠璃で泣けるドラマをえがいた。俳句の世界では松尾芭蕉が俳諧を芸術の域まで高め、絵画では俵屋宗達(たわらやそうたつ)や尾形光琳(おがたこうりん)が豪華な装飾画を、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)はあの「見返り美人図」のような浮世絵をかいて、町人たちを熱狂させたんだ。

せんせい

下の暗記シートで確認してみよう。

No. 解説(ヒント) 重要ワードをチェック!
【文学・芸能・俳諧】
1 『日本永代蔵』などの「浮世草子」を書き、町人の生活を描いた。
井原西鶴
2 人形浄瑠璃の脚本家。義理と人情のリアルなドラマをえがいた。
近松門左衛門
3 『おくのほそ道』で知られ、俳諧(俳句)を芸術として大成させた。
松尾芭蕉
【絵画・装飾画】
4 「見返り美人図」で有名な、浮世絵の創始者。
見返り美人 菱川師宣
5 「風神雷神図屏風」などで知られる、豪華な装飾画の先駆者。
風神雷神図屏風 俵屋宗達
6 「燕子花(かきつばた)図屏風」など、華やかな琳派を大成。
尾形光琳
一問一答で確認しよう

① 5代将軍・徳川綱吉のころ、栄えた元禄文化の文化の中心地はどこ? 漢字2文字で。
② 町人のリアルな生活や欲望を描いた『日本永代蔵』を書いたのは誰?
③ 『曽根崎心中』など、義理と人情に悩む男女のドラマを人形浄瑠璃の脚本として書いたのは誰?
④ 『おくのほそ道』などの紀行文を残し、俳諧(俳句)を芸術として完成させたのは誰?
⑤ 「見返り美人図」を描き、浮世絵の創始者とされる人物は誰?
⑥ 「風神雷神図屏風」を描き、豪華で装飾的な絵画の先駆けとなったのは誰?
⑦ 「燕子花(かきつばた)図屏風」などの華やかな作品を残した人物は誰?
⑧ 元禄文化の主な担い手(主役)となったのは、どのような人々?

人名語群(ヒント)

松尾芭蕉 井原西鶴 俵屋宗達 近松門左衛門 尾形光琳 

解答

① 上方(かみがた) ※京都・大阪
② 井原西鶴
③ 近松門左衛門
④ 松尾芭蕉
⑤ 俵屋宗達
⑥ 尾形光琳
⑦ 町人

記述テスト
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パワポファイル

かな

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