授業(音声があります)
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せんせい
はい、みんなこんにちはー!
今日も元気に歴史の壁をぶっ壊していこう! 今日はついに来ました、鎌倉時代。 武士が主役の時代の幕開けだ。ここ、テストに出るポイントが山盛り。準備はいいかな? 画面の前の君、全集中でいくよ!
1192年(いい国)じゃない!? 鎌倉幕府の始まり

みんな、「鎌倉幕府ができたのはいつ?」って聞かれたら、昔は「1192(いい国)作ろう鎌倉幕府」って覚えたんだ。 でも、今の正解は……1185年!
1185年、源頼朝が平氏を壇ノ浦で滅ぼしたその年、彼はある「すごい権力」を手に入れた。それが守護(しゅご)と地頭(じとう)の設置だ。
- 守護: 国ごとに置かれた、警察・軍事のリーダー。
- 地頭: 荘園ごとに置かれた、年貢の取り立て・管理のプロ。
「実質的な支配はここから始まったよね」ということで、今は1185年が幕府のスタートとされているんだ。1192年は頼朝が「征夷大将軍」というタイトルをもらった年、とセットで覚えておこう!
それから、頼朝が鎌倉に幕府を置いた理由も重要。次の写真を見て考えてみよう。

何か気づいたかな?
そう。周りが海や山に囲まれていて敵から攻められにくい地形だったんだ。これテストによくでるからね。
頼朝と武士たちの関係は、実はすごくドライで熱い「ビジネス契約」だった。 これを御恩(ごおん)と奉公(ほうこう)と言うよ。奉公って意外と漢字間違いしやすいから要注意。鎌倉幕府と契約した武士のことを「御家人」(ごけにん)と呼ぶのも押さえよう。
- 御恩: 頼朝が「君の土地を保証するよ!手柄を立てたら新しい土地をあげるよ!」
- 奉公: 武士(御家人)が「命がけで戦います!幕府のガードマンもやります!」
この「土地」を仲立ちにした主従関係を封建制度と呼ぶんだ。これが武士社会の鉄板ルールだね。
① 源頼朝が守護・地頭を設置し、現在では鎌倉幕府が成立したと考えられている年は何年か。
② 源頼朝が1192年に朝廷からもらった役職を何というか。
③ 幕府が国ごとに置き、軍事や警察の役割を果たさせた役職を何というか。
④ 幕府が荘園や公領ごとに置き、土地の管理や年貢の取り立てを行わせた役職を何というか。
⑤ 将軍が御家人の領地を保証したり、手柄に対して新しい土地を与えたりすることを何というか。
⑥ 御家人が将軍に対して、命がけで戦ったり幕府の警備を行ったりすることを何というか。 ⑦ 将軍と主従関係を結んだ武士のことを何というか。
① 1185年
② 征夷大将軍
③ 守護
④ 地頭
⑤ 御恩
⑥ 奉公 ※漢字注意
⑦ 御家人
北条政子の「涙の演説」と承久の乱 北条氏の時代へ

頼朝が亡くなった後、源氏の将軍はたった3代で途絶えちゃう。
「今がチャンス!政治を天皇の手に取り戻すぞ!」と立ち上がったのが、京都の後鳥羽上皇。これが1221年の承久の乱だ。
幕府は大ピンチ! 武士たちが朝廷側に寝返りそうになったとき、頼朝の妻・北条政子が伝説のスピーチをしたんだ。 「みんな、亡き頼朝様の恩を忘れたの!?山よりも高く、海よりも深いあの恩を!」
これで武士たちは一致団結。幕府が勝利し、朝廷を監視するために京都に六波羅探題(ろくはらたんだい)が置かれたんだ。
将軍に代わって、奥さんの実家である北条氏が「執権(しっけん)」として政治を仕切るようになる(執権政治)。 執権っていうのは将軍をサポートする役職のこと。
1232年、3代目執権の北条泰時が、武士として初めての法律・御成敗式目(ごせいばいしきもく)を作った。 「武士同士の裁判を公平にするためのルール」だね。これがその後の武士の法律のベースになっていくんだ。
① 1221年、後鳥羽上皇が朝廷の権力を取り戻そうとして起こした争いを何というか。
② 承久の乱の際、御家人たちに亡き頼朝の恩を訴え、幕府側に一致団結させた人物は誰か。
③ 承久の乱の後、朝廷の監視や京都の警備、西国の統率のために京都に置かれた役職を何というか。
④ 鎌倉幕府の将軍を補佐する役職を何というか。
⑤ 1232年、武士同士の裁判を公平に行うための基準として、制定されたきまりを何というか。
⑥ ⑤のきまりをつくった幕府の執権はだれですか。
① 承久の乱
② 北条政子
③ 六波羅探題
④ 執権
⑤ 御成敗式目
⑥ 北条泰時
モンゴルが攻めてきた!

13世紀、世界最強の軍団が日本に迫る。フビライ・ハンの率いる元だ。 元は2回も大軍で北九州に攻めてきた(元寇)。ちなみに1回目を「文永の役」、2回目を「弘安の役」っていうよ。この元寇のときの執権が北条時宗。
日本軍は、元の「集団戦法」や爆発する武器「てつはう」に大苦戦!
でも、たまたま吹いた暴風雨(神風)もあって、なんとか追い返した。 ところが、これが幕府滅亡の引き金になるんだ。
なぜかって?
「防衛戦」だったから、新しい土地が手に入らなかったんだよ。
命がけで戦った御家人に、幕府は「あげる土地がない……」と恩賞を払えなかった。 借金まみれの武士を助けるために「借金をチャラにする!」という永仁の徳政令を出したけど、かえって経済が大混乱。幕府への信頼はゼロになっちゃったんだ。
① 13世紀にモンゴル帝国を築き、国号を「元」と定めて日本へ攻めてきた皇帝は誰か。
② 1274年の「文永の役」と1281年の「弘安の役」の、2回にわたる元軍の襲来をまとめて何というか。
③ 元軍の襲来を受けたときの、鎌倉幕府の執権は誰か。
④ 恩賞がもらえず借金に苦しむ御家人を救うため、1297年に幕府が出した、借金を帳消しにする命令を何というか。
① フビライ(・ハン)
② 元寇 ※漢字注意
③ 北条時宗
④ 永仁の徳政令
パワフルな鎌倉文化と新しい仏教

最後は文化。武士の時代らしく、「素朴で力強い」のが特徴だ。
- 金剛力士像(運慶・快慶): あの東大寺南大門にある、筋肉ムキムキの像だね。今にも動き出しそうなリアルさ。あれは武士の「強さ」への憧れが形になったものなんだ。
- 軍記物語: 『平家物語』みたいに、琵琶法師が語り歩く物語が流行った。戦いのドラマは、当時の人たちにとって最高にエキサイティングなエンタメだったんだ!
鎌倉時代には同じ田んぼで、お米を作った後に麦を植えるという二毛作もはじまったんだ。「1年で2回おいしい」仕組みだね。まずは西日本(近畿地方など)から広まっていったんだよ。
昔の仏教は「難しいお経を読め!」「山にこもれ!」だったけど、鎌倉時代のお坊さんたちは違った。 「『南無阿弥陀仏』って唱えるだけで救われるよ!」とか、「座禅を組むだけでいいよ!」とか、とにかくシンプル! 簡単で分かりやすい教えがバズったんだ。

せんせい
暗記しやすいように、表示ボタンを押すと何度も確認できるぞ!
| 宗派 | 開祖 | 教え・特徴 |
|---|---|---|
| 浄土宗 | 法然 | 「南無阿弥陀仏」と念仏を唱える。 |
| 浄土真宗 | 親鸞 | 阿弥陀如来を信じれば悪人も救われる。 |
| 時宗 | 一遍 | 踊りながら念仏を唱える。 |
| 日蓮宗 | 日蓮 | 「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。 |
| 臨済宗 | 栄西 | 座禅と問答で悟りを開く。武士に人気。 |
| 曹洞宗 | 道元 | ひたすら座禅を組む。 |
これが、忙しい農民や武士の心にブッ刺さった。文字が読めなくても、修行ができなくても救われる。この「わかりやすさ」が、鎌倉時代の新しいパワーの源だったんだね。
① 鎌倉時代、運慶、快慶がつくった力強い表情が特徴の彫刻を何というか。
② ①はどこの寺院の何という門にあるか。
③ 琵琶法師によって語り広められた軍記物語は何か?
④ 同じ田んぼで、米を作った後の裏作として麦などを栽培する農業の仕組みを何というか。
⑤ ④の耕作方法は、主に日本のどの地域から広まっていったか。
⑥ 上の表を使って鎌倉新仏教を覚えましょう
① 金剛力士像
② 東大寺南大門
③ 『平家物語』
④ 二毛作
⑤ 西日本(近畿地方)

