国語が苦手な子が文章を読みながら、そこで使われている漢字書き取りや、抜き出しのトレーニングのできる教材です。読みながらで重要な対義語を学ぶこともできます。

せんせい
今回は、「受動と能動」について学びましょう。文章素材は「せんせい」の文章なのでコピペしてご活用いただけます。
問題 次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。
「能動」と「受動」という言葉は、文法の話でありながら、実は「ものの見方」の話でもあります。
まず、「能」という漢字の意味から考えてみましょう。
「能」は、「自分の力で何かを成しとげる」「自ら動いてはたらきかける」という意味を持っています。能力、可能という言葉に使われていることからも分かるように、「能動」とは、自分から動く側に立つことを表しています。それに対して「受動」は、「受ける」という字の通り、外からの働きかけを受け取る側の立場です。この違いは、ドラマのカメラの位置で考えるとよく分かります。
たとえば、ドラマで北野武が出川哲朗を殴る場面があるとします。カメラが北野武の背中側にあれば、私たちは「自分が殴っている」感覚でそのシーンを見ます。これは、「北野武が出川哲朗を殴った」という能動の文と同じです。行動する側が主人公です。
しかし、カメラが出川哲朗の目線の位置にあったらどうでしょう。拳がこちらに飛んできて、痛みや恐怖が伝わってきます。このとき私たちは、「出川哲朗が殴られた」という受動の視点でその場面を体験しています。出来事は同じでも、カメラの位置が変わるだけで、物語の印象は大きく変わるのです。
ここで大切になるのが、「主語」と「目的語」です。
主語というのは、文の「主人公」だから主語と呼ばれます。
目的語は、その行動が向けられる「対象」です。
「北野武が出川哲朗を殴った」では、
主語=北野武(主人公)
目的語=出川哲朗(対象)です。
これを受動にすると、
「出川哲朗が北野武に殴られた」になります。このとき、主人公(主語)は出川哲朗に入れ替わっています。つまり、能動文から受動文にするとは、主語と目的語を入れ替えて、カメラの位置を移動させる作業なのです。
日本語では、受け身は「れる」「られる」という助動詞をつけて作ります。
・殴る → 殴られる
・食べる → 食べられる
・見る → 見られる
英語でも同じことが起きています。
- Takeshi Kitano hit Tetsuro Degawa.
- Tetsuro Degawa was hit by Takeshi Kitano.
能動の文では、動詞 hit がそのまま使われますが、受動になると be動詞+過去分詞(was hit) の形になります。これは英語版の「れる」「られる」だと思えば分かりやすいでしょう。
もう一つ、学校の場面で考えてみます。「先生がテストを返した」。これは能動で、先生が主人公です。「たくまがテストを返された」。これは受動で、主人公はたくまになります。テストを返される側のドキドキした気持ちを伝えたいなら、こちらの言い方の方が合っているかもしれません。
日本語の「られる」に関しては、少し難しい話があります。「食べる」という動詞を例にすると、
- 先生がデザートを食べられた。(尊敬)
- 僕は何でも食べられる。(可能)
- 弟にケーキを食べられた。(受け身)
このように、「られる」という助動詞は尊敬・可能・受け身の三つの意味(自発の用法もあります)を持っています。ところが、「可能」のときに「食べれる」と言う人が増えています。これがいわゆる「ら抜き言葉」です。
「食べられる」なのか「食べれる」なのかは、国語の世界ではよく議論になりますが、私はむしろ、「ら抜き」があることで意味が分かりやすくなっている面もあると思います。「食べられた」と言えば、尊敬なのか、受け身なのか、少しあいまいです。でも、「食べれる」と言えば、「できる」という可能の意味だとすぐ分かります。ある意味で、「ら抜き」は、日本語が意味の区別をはっきりさせるために進化している姿とも言えるのです。
能動と受動とは、ただの文法だけの話ではありません。それは、「だれを主人公にするのか」「どこにカメラを置くのか」を決める文章の技術の話です。
北野武を見るのか、出川哲朗を見るのか。先生を見るのか、たくまを見るのか。文の形を変えることで、私たちは世界の見え方そのものを切り替えているのです。
漢字トレーニング

せんせい
次の【 】内の読みを、漢字で書いてみよう! 本文で使われている言葉だから、分からない場合は、本文から探して写してもいいよ!
① 「自ら動いてはたらきかける」という【いみ】を持つ漢字です。
② 自分の【のうりょく】を知る。
③ 【かのう】性を考えてみる。
④ 「受ける」という立場を表すのが【じゅどう】です。
⑤ 外からの【はたらきかけ】を受け取る側の立場のことです。
⑥ テレビカメラの【いち】を気にする。
⑦ 【しゅじんこう】=主語です。
⑧ カメラが出川哲朗の【めせん】にあると、殴られる側の気持ちが伝わります。
⑨ 拳が飛んできて、【きょうふ】を感じる場面になります。
⑩ 国語の世界ではよく【ぎろん】になります
① 意味
② 能力
③ 可能
④ 受動
⑤ 働きかけ
⑥ 位置
⑦ 主人公
⑧ 目線
⑨ 恐怖
⑩ 議論
読みの超基礎トレーニング

せんせい
本文を見ながらそのまま書き写しましょう。
「能動」と「受動」という言葉は、文法の話でありながら、実は「[① ]」の話でもあります。
まず、「能」という漢字の意味から考えてみましょう。
「能」は、「[② ]」「自ら動いてはたらきかける」という意味を持っています。能力、可能という言葉に使われていることからも分かるように、「能動」とは、[③ ]側に立つことを表しています。それに対して「受動」は、「受ける」という字の通り、[④ ]側の立場です。この違いは、ドラマのカメラの位置で考えるとよく分かります。
たとえば、ドラマで北野武が出川哲朗を殴る場面があるとします。カメラが北野武の背中側にあれば、私たちは「自分が殴っている」感覚でそのシーンを見ます。これは、「北野武が出川哲朗を殴った」という[⑤ ]の文と同じです。[⑥ ]側が主人公です。
しかし、カメラが出川哲朗の目線の位置にあったらどうでしょう。拳がこちらに飛んできて、痛みや恐怖が伝わってきます。このとき私たちは、「出川哲朗が殴られた」という[⑦ ]でその場面を体験しています。出来事は同じでも、カメラの位置が変わるだけで、物語の印象は大きく変わるのです。
ここで大切になるのが、「主語」と「目的語」です。主語というのは、文の「[⑧ ]」だから主語と呼ばれます。目的語は、その行動が向けられる「[⑨ ]」です。
「北野武が出川哲朗を殴った」では、
主語=北野武(主人公)
目的語=出川哲朗(対象)です。
これを受動にすると、
「出川哲朗が北野武に殴られた」になります。このとき、主人公(主語)は[⑩ ]。つまり、能動文から受動文にするとは、主語と目的語を入れ替えて、[⑪ ]を移動させる作業なのです。
日本語では、受け身は「[⑫ ]」「[⑬ ]」という助動詞をつけて作ります。
・殴る → 殴られる
・食べる → 食べられる
・見る → 見られる
英語でも同じことが起きています。
Takeshi Kitano hit Tetsuro Degawa.
Tetsuro Degawa was hit by Takeshi Kitano.
能動の文では、動詞 hit がそのまま使われますが、受動になると [⑭ ](was hit)の形になります。これは英語版の「れる」「られる」だと思えば分かりやすいでしょう。
もう一つ、学校の場面で考えてみます。「先生がテストを返した」。これは能動で、先生が主人公です。「たくまがテストを返された」。これは受動で、主人公はたくまになります。[⑮ ]を伝えたいなら、こちらの言い方の方が合っているかもしれません。
日本語の「られる」に関しては、少し難しい話があります。「食べる」という動詞を例にすると、
・先生がデザートを食べられた。(尊敬)
・僕は何でも食べられる。(可能)
・弟にケーキを食べられた。(受け身)
このように、「られる」という助動詞は尊敬・可能・受け身の三つの意味(自発の用法もあります)を持っています。ところが、「可能」のときに「[⑯ ]」と言う人が増えています。これがいわゆる「ら抜き言葉」です。
「食べられる」なのか「食べれる」なのかは、国語の世界ではよく議論になりますが、私はむしろ、「ら抜き」があることで意味が分かりやすくなっている面もあると思います。「食べられた」と言えば、尊敬なのか、受け身なのか、少しあいまいです。でも、「食べれる」と言えば、「できる」という可能の意味だとすぐ分かります。ある意味で、「ら抜き」は、日本語が[⑰ ]とも言えるのです。
能動と受動とは、ただの文法だけの話ではありません。それは、「だれを主人公にするのか」「どこにカメラを置くのか」を決める[⑱ ]の話です。
北野武を見るのか、出川哲朗を見るのか。先生を見るのか、たくまを見るのか。文の形を変えることで、私たちは[⑲ ]のです。
「能動」と「受動」という言葉は、文法の話でありながら、実は「[① ものの見方 ]」の話でもあります。
まず、「能」という漢字の意味から考えてみましょう。
「能」は、「[②自分の力で何かを成しとげる]」「自ら動いてはたらきかける」という意味を持っています。能力、可能という言葉に使われていることからも分かるように、「能動」とは、[③ 自分から動く ]側に立つことを表しています。それに対して「受動」は、「受ける」という字の通り、[④外からの働きかけを受け取る ]側の立場です。この違いは、ドラマのカメラの位置で考えるとよく分かります。
たとえば、ドラマで北野武が出川哲朗を殴る場面があるとします。カメラが北野武の背中側にあれば、私たちは「自分が殴っている」感覚でそのシーンを見ます。これは、「北野武が出川哲朗を殴った」という[⑤ 能動 ]の文と同じです。[⑥ 行動する ]側が主人公です。
しかし、カメラが出川哲朗の目線の位置にあったらどうでしょう。拳がこちらに飛んできて、痛みや恐怖が伝わってきます。このとき私たちは、「出川哲朗が殴られた」という[⑦ 受動の視点 ]でその場面を体験しています。出来事は同じでも、カメラの位置が変わるだけで、物語の印象は大きく変わるのです。
ここで大切になるのが、「主語」と「目的語」です。主語というのは、文の「[⑧ 主人公 ]」だから主語と呼ばれます。目的語は、その行動が向けられる「[⑨ 対象 ]」です。
「北野武が出川哲朗を殴った」では、
主語=北野武(主人公)
目的語=出川哲朗(対象)です。
これを受動にすると、
「出川哲朗が北野武に殴られた」になります。このとき、主人公(主語)は[⑩ 出川哲朗に入れ替わっています ]。つまり、能動文から受動文にするとは、主語と目的語を入れ替えて、[⑪ カメラの位置 ]を移動させる作業なのです。
日本語では、受け身は「[⑫ れる ]」「[⑬ られる ]」という助動詞をつけて作ります。
・殴る → 殴られる
・食べる → 食べられる
・見る → 見られる
英語でも同じことが起きています。
Takeshi Kitano hit Tetsuro Degawa.
Tetsuro Degawa was hit by Takeshi Kitano.
能動の文では、動詞 hit がそのまま使われますが、受動になると [⑭ be動詞 + 過去分詞 ](was hit)の形になります。これは英語版の「れる」「られる」だと思えば分かりやすいでしょう。
もう一つ、学校の場面で考えてみます。「先生がテストを返した」。これは能動で、先生が主人公です。「たくまがテストを返された」。これは受動で、主人公はたくまになります。[⑮ テストを返される側のドキドキした気持ち ]を伝えたいなら、こちらの言い方の方が合っているかもしれません。
日本語の「られる」に関しては、少し難しい話があります。「食べる」という動詞を例にすると、
・先生がデザートを食べられた。(尊敬)
・僕は何でも食べられる。(可能)
・弟にケーキを食べられた。(受け身)
このように、「られる」という助動詞は尊敬・可能・受け身の三つの意味(自発の用法もあります)を持っています。ところが、「可能」のときに「[⑯ 食べれる ]」と言う人が増えています。これがいわゆる「ら抜き言葉」です。
「食べられる」なのか「食べれる」なのかは、国語の世界ではよく議論になりますが、私はむしろ、「ら抜き」があることで意味が分かりやすくなっている面もあると思います。「食べられた」と言えば、尊敬なのか、受け身なのか、少しあいまいです。でも、「食べれる」と言えば、「できる」という可能の意味だとすぐ分かります。ある意味で、「ら抜き」は、日本語が[⑰ 意味の区別をはっきりさせるために進化している姿 ]とも言えるのです。
能動と受動とは、ただの文法だけの話ではありません。それは、「だれを主人公にするのか」「どこにカメラを置くのか」を決める[⑱ 文章の技術 ]の話です。
北野武を見るのか、出川哲朗を見るのか。先生を見るのか、たくまを見るのか。文の形を変えることで、私たちは[⑲ 世界の見え方そのものを切り替えている ]のです。

せんせい
受動って言葉は英語の勉強にもつながるんだね!
演習問題
問1 本文を参考に、「赤い車が母の運転する車にぶつかった。」を受け身の文(受動の文)に書き換えなさい。
母の運転する車は(が)、赤い車にぶつけられた。
問2 能動文から受動文にすることを、本文では何にたとえて説明されていますか。
カメラの位置を移動させること。
問3 「ら抜き言葉」があることで、どんな良い点があると筆者は考えていますか。
可能の意味かどうかが分かりやすくなる点。
問4 (要約問題)本文の内容を、八十字程度でまとめなさい。
能動と受動は、主語と目的語を入れ替え、出来事を見る立場を変えること。文の形は、世界の見え方を切り替えるカメラの役割を持っている。

